在日コリアンとは|一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

在日コリアンに関する基礎知識

在日コリアンとは?

在日コリアンとは、日本の朝鮮植民地支配によって渡日し、生活基盤を築いて日本社会に定住している人々です。

旧植民地出身者とその子孫と表現するとわかりやすいかもしれません。

世代をかさね、すでに5世や6世が誕生しています。その影響から最近では「帰化」をして日本国籍を取得する人も増えてきています。

ですから「韓国籍」「朝鮮籍」「日本籍」もふくめて、朝鮮植民時代より朝鮮半島にルーツをもつものを在日コリアンと呼んでいます。

特別永住って何?

外国からやってくる外国人は在留資格の種類によって日本での滞在期間や就労の制限、国外退去強制などがあります。

現在、在日コリアンなど旧植民地出身者とその子孫の多くは、特別永住という在留資格をもっています。

その在留資格が定められたのが1991年でしたが、それまでは特殊な歴史性にもかかわらず、非常に不安定な地位に置かれていました。

在日コリアンは、1952年のサンフランシスコ平和条約締結までは日本国籍保持者として扱われてきました。

しかし日本の独立と共に日本国籍を離脱したものとされ、同時に「法126号第2条第6項」(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸法令の措置に関する法律)により「別に法律で定めるところにより、その者の在留資格および在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」とされました。

しかし強制退去は遠慮なく適用され、安定した在住状況とはいえませんでした。

1965年に日韓基本条約が締結され、永住許可制度が新設されます。それを「協定永住」といいます。

しかしその範囲は申請したものの2世までであり、25年の年限を限定した「永住」制度でした。

当時の在日の多くは「朝鮮籍」者でした。日韓両政府の思惑にはその「朝鮮籍者」を「協定永住」をアメとして 「韓国籍」に切り替えさせることもありました。

こうして在日は「協定永住」と「法126-2-6」該当者とその他に分断されます。祖国の分断状況がそのまま在日にも反映したことになります。

またあいかわらず7年以上の懲役・禁固刑に処された者は強制退去の対象とされました。

1981年に難民条約を批准したことで在留資格が再整備され、在日は「協定永住」のほかに「特例永住」「法126-2-6」「平和条約関連国籍離脱者の子」のいずれかとなります。

さらに1991年日韓外相協議の覚書をうけ「日本国と平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(入管特例法)が成立、在日の在留資格が一本化され「特別永住」がその子孫までに認められるようになりました。

昨今、「在日特権」という言葉が氾濫し、この「特別永住」の在留資格も「在日特権」の一つであると流布されています。

はたしてそうでしょうか?

在日の根本的な要因は日本の朝鮮植民地支配です。にもかかわらず戦後は排外主義的政策がとられてきました。

本来なら戦後補償や人権擁護の視点から在日には早急に安定した在留資格が与えられるべきでした。

それは日本国籍を保持していた在日から国籍の選択権を与えなかったことにも起因します。

そのれらの点をよく考えてほしいものです。

「通称名」は特権か?

在日コリアンが通称名を使用するようになったのは、植民地時代の創氏改名政策が背景にあります。皇民化政策の一環として実施されました。それは朝鮮人の姓名を日本

式の氏名へ変えさせることで、朝鮮固有の「姓」を同じくする血族集団中心の家族制度を解体し、日本式の「氏」中心の家族制度を導入して天皇への忠誠心を植えつけ、

戦争に動員することが最大の目的でした。朝鮮総督府により「朝鮮民事令中改正の件」はじめ関係法令が1940年2月11日に施行。それにより、日本の民法上の「氏」を

家の称号としてつけることなどが定められました。また、改名の手続きと氏届出期間終了後の氏の変更手続きが定められ、朝鮮人の戸籍上の本名は「姓名」から「氏名」

に替わり、従来の姓は「姓及本貫」欄に記載することになりました。政策の施行当初、創氏の届け出をする者が非常に少なかったため、総督府は申告しない人々に学校へ

の入学・進学拒否や配給対象からの除外などさまざまな圧力をかけました。最終的に、1940年2月から8月の届出期間中に全戸数の約8割が氏の届出をしました。氏の届け

がなかった者については法令にしたがって戸主の姓が氏となりました。

解放後、朝鮮半島では創氏名の使用はなくなりましたが、日本に留まり定住した在日コリアンの多くは引き続き日本的な通称名を使用しました。それは在日コリアンへの

差別・偏見が根強い日本社会で朝鮮名を使用することによる不利益を避けるためでした。実際、1958年に当時の法務省入国管理局法務事務官は「多くの者は、固有の氏名

のほかに、日本式の氏名を好んで使用しており、またそうすることにより人種的偏見に基づく差別待遇を逃れようとした。この心情は無理からぬことであった」ゆえに

「彼等自身において『通称名』を名乗る必要のなくならない限り、やはりこの制度を続けてゆくのが好ましいことだと考える」との見解を出し、民族差別の存在を認めま

した。昨今、在日コリアンの通称名使用は「在日特権」であり、「犯罪の温床になっている」ので、なくさなければならないといった批判をする者がいますが、一部の現

象を捉えてすべての在日が通称名を悪用しているかのような偏見を拡散させ、在日への憎悪感情をまき散らしているにすぎません。法務事務官が認めているように、民族

差別の存在が在日の通称名使用を固定化させているのであり、それを戦後、いっさい解消しようとしてこなかった日本社会にこそ責任があるのです。なくさなければなら

ないのは「通称名」の存在なのか「民族差別」なのか、明らかなことです。