新年と在日の18歳 - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

記事詳細

新年と在日の18歳

【投稿日】2016年1月6日(水)

 2015年は日本社会にとって、ひとつの画期をむかえた年であった。それはいうまでもなく、国会の内外でおおくの反対があったにもかかわらず、いわゆる「戦争法案」が国会を通過してしまったからである。もう一つは同じく地元や多くの反対意見を無視して、鹿児島の川内原発の再稼働を許し、次いで愛媛の伊方原発もあとに続こうということが大勢となったことである。やがて福井県若狭のいくつかの原発が手ぐすねひいて待ち構えている。私はこのふたつの出来事は日本だけでなく、人類史に残る愚挙だと思っている。

 新年はこの大きな二つの課題がどう進行するか、その様な流れをくい止める力をどのように作っていくのか、が問われている。7月に予定されている参議院議員の選挙、あるいは衆議院との同時選挙の行方が問われている。

 この選挙から、選挙権が18歳に繰り下げられた。すでに欧米では18歳選挙権付与はとっくに実現しており、日本は遅きに失した感がある。私個人の記憶では、1950年代の前半、サンフランシスコ講和会議をめぐって「全面講和」か「単独講和」かの大議論が闘わされていたし、内灘、砂川の米軍基地をめぐる闘いが攻防をくりひろげている時期であったから、選挙権がないことで悔しい思いをしていた記憶がある。

 さて、今回の選挙権年齢繰り下げをめぐって、各地の高校では、生徒たちに選挙の意義や投票方法を教科でとりあげ、模擬投票まで行っている学校がある、という。そのことをめぐって一つの危惧と、もうひとつの懸念がある。

 ひとつの危惧とは果たして学校や教員の指導内容の問題である。議会制民主主義の意義を説くことが重視される場合、ときとして軽視されるのが議会外民主主義の存在である。ここでいう議会外民主主義とは日本国憲法で保障されている表現・集会・結社などの自由を駆使した「人民主権」の存在である。昨年の「戦争法案」に対する反対運動はまさしく議会で野党が少数派であるにもかかわらず、全国で若者もふくめて、おおくの人々が議会外民主主義を武器としてたちあがり、行動した。そのようなことも学校で教えるのであろうか。もし民主主義を選挙の投票ということだけに押し込めてしまう、というのであれば、それは「人民主権」、換言すれば、議会外での政治運動の否定につながる。

 もうひとつの懸念とは選挙権をもたない、在日生徒・学生たちの存在である。とりわけ、通名で学校生活を送っている若者にとっては、学校で行われている模擬投票は自分たちに権利がないことをあらためて思い知らせる機会となる。しかも通名であれば教師も回りの生徒たちも、そのような無権利状態を知る由もない。また本人の心の葛藤をおもんばかることもないまま、授業は終了してしまう。ここに通名の罪深さが露呈している。またよしんば本人が外国籍者であることを名乗り出たとして、なぜ、特別永住権をもった外国籍者に選挙権が付与されないままなのか、という点について教員はきちんと説明できるのだろうか。一刻もはやく「地方参政権」をはじめとする外国籍者への権利付与の実現が今こそ急がれているのではないか。(理事長 仲尾宏)