2018年をどんな年にするか - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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2018年をどんな年にするか

【投稿日】2018年1月4日(木)

 まずは新年おめでとう、という挨拶のことばは必要であるだろう。だがこのところ、毎年のように、私は「めでたい」ばかりではないだろう、という思いがしてならない。それは近年の世界と日本を覆っているナショナリズムという黒い雲が一向にうすらいでゆく気配がみられないことに由来している。とくに2018年は「明治維新150年」の節目の年として、政府やマスコミが大キャンペーンを展開し、少なからずの人々がそれにのせられてしまう危険があるからだ。ここで私は「明治維新」というものの功罪をあらためて考えてみたい。

 たしかに新政権をになうことになった薩摩や長州のめざした方向は当時の人々が「ご一新」とよんだように、旧幕時代の「旧弊」を一新して一路、文明開化の道をすすめた。当時の西欧の産業革命、すなわち第一次の機械文明のめざましい発展と動力への応用は世界を一つにした。それは他の面では列強による植民地分割を押し進める原動力となった。それに明治の日本は「ご一新」の名のもとに全面参加したのである。

 他の面では新政権は「王政復古」をかかげて天皇親政を新政権の政権奪取の外被とした。「大日本帝国憲法」の発布によって、人民は「臣民」とされ、統治権は天皇が総覧し、「大元帥陛下」である天皇が軍事の頂点に立った。他方では天皇はこの大変革を人民に納得させるために、日本全国を巡幸してその地位が所与のものであることを宣伝した。また神聖性の鼓舞のために『古事記』『日本書紀』が説く神話を「史実」として人民を教化した。「教育勅語」の発布である。それを人民の日常生活と結び付けるために天皇誕生日を「明治節」として他の宮中祭祀とあわせて「祝祭日」として設定した。現行の「文化の日」は現憲法の公布日が本来の制定理由なのだが、それを「明治節」に復帰しよう、という動きがある。

 たしかに明治維新なるものは日本の「富国強兵」を推進したであろう。しかし他の面では福沢諭吉の「脱亜論」をうみ、大日本帝国の植民地獲得政策を「国是」として推進した。「軍拡」に次ぐ「軍拡」がアジア侵略の限定なき侵略につながり、やがてあの破局に行き着いた。明治は必ずしも「栄光」の時代ではなかったことを忘れてはなるまい。

 そのような道を再び繰り返してはならない、という決意は「破局」後の日本に住む大多数の人々の率直な気持ちであったろう。私たちがえらんだ道は、不戦とともに一切の差別を許さない社会づくりでもあった筈だ。さまざまな課題が私たちの前につきつけられている。だが、どんな困難に出会おうとも、ひるまずに生き抜いていこう。爽やかな明日のために。(理事長 仲尾宏)