新年辞 新しい時代は「人権の世紀」たりうるか - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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新年辞 新しい時代は「人権の世紀」たりうるか

【投稿日】2020年1月7日(火)

 10年前のことになるが、ある著名な歴史学者が話された言葉が今も脳裡に引っ掛かってる。その言葉とは「20世紀は戦争の時代であった。これからの世紀は【人権の世紀】にしなければならない。」まことに至言である。

 国連で「世界人権宣言」が採択されたのが1948年、国際人権規約が国連で採択されたのはそれからまもなくの1966年であった。

 このように地球上に発生するさまざまな人権問題は、前世紀の半ばですでに世界的な課題であることは、すでに国際的に公知の事実であった。もっとも日本がこの国際条約に署名したのは1978年、批准書を寄託したのは1979年、そして国内で発効したのは1979年のことであった。そのように日本国内における人権問題にかかわる取り組みは前世紀においては遅々として進んでいなかった。先述のある歴史学者の思いはそのような状況に対するある種の“苛立ち”を反映していたのかも知れない。

 では、今世紀に入ってからはどうであったか。部分的にみれば、元ハンセン病患者とその家族に対する名誉回復とその救済に関する法や施策が取り組まれたことは一歩前進であった。また障がい者が国政の場に登場できたのも周囲の人々のたゆまぬ努力の賜物であったし、いわゆるLGBTの人々の人権がなおざりにされていたことの反省が、ようやく人々が注目することになりつつあることも、人権の一歩前進であろう。

 そして今年7月にはさきに川崎市が条例として制定した違反者に対する罰則適用をもりこんだ「ヘイト行為」禁止が実現する。この条例は日本社会において、民族差別、人種差別を公然化する行為を法の対象として処罰に値する行為として明らかにした最初の条例である。戦後の日本において、そのような民族差別、人種差別が大都市を中心に今までも公然として行われてきた。それらの行為は「言論の自由」の名のもとに、ことごとく民族的少数者に対して、多大な精神的苦痛を与えてきたことの反省を、圧倒的多数者である日本人はこの際、肝に銘じておかなくてはならない。

 地球の歴史が近代になって身分差別やいわれなき職業差別からある程度解放されたとはいえ、しかし国際社会でも、非人権状況の一端として、また地域紛争や戦争の原因として、この種の差別がいまも公然として各地で横行している事実がみられる。そのような状況をみるとき、もっともその解消を急がねばならない課題である。

 また時の政権や政治家はこのような「ヘイト行為」に便乗して、特定の国や民族に対する偏見をあおり、政府の政策が絶対無二のものであることを宣伝することに利用してはならない。マスコミもまた然りである。

 他の自治体が川崎市と市議会の英断に学んでさまざまな施策に取り組むべきであろう。この一年間、私たちに課せられた大きなテーマであることを忘れずに前進したい。(仲尾宏理事長)