8月15日は「敗戦の日」だった - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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8月15日は「敗戦の日」だった

【投稿日】2021年8月9日(月)

 8月という月は日本社会で生き暮らしている多くの人々にとっては、自己と歴史とのかかわりを考えねばならない月でもある。というのは、現代の日本、そして未来を考えてみる上で、近々百年足らずの間にあまりにも重い事実-いや史実といってもよいかも知れない出来事が積み重なっているからだ。
 第二次大戦以前のことはひとまずおくとして、1945年の「敗戦」、それと共に朝鮮半島の人びと、在日の人びとにとっての「解放」、そして新しい憲法の発布と施行による国家の仕組みの大きな変革がそれである。
 私事にわたるが私は1945年8月15日まで日本の敗戦などは全く脳裡に浮かばなかった。そして天皇は「現人神」(アラヒトガミ)と信じて疑わなかった。なぜなら学校でも地域でもそのように教えられ続けてきたからである。もう10年も年令が上であれば、私は天皇の「醜の御楯」としてどこかで散ってしまっていただろう。だから敗戦の直後に成立した皇族の東久邇内閣は「一億総ざんげ」が必要といい、マスコミも東京の宮城前に膝をついてひれ伏す人びとの写真を大々的に掲げていた。8月15日に「大日本帝国」は解体されるべくして解体したという認識は殆どの人びとの脳裡にはなかった。朝鮮の人びとや日本軍の占領下、支配下におかれた中国人や東南アジアの人びとのことなど思いも至らなかったのである。
 だから敗戦承諾の直前の8月6日、9日の米軍による原爆投下は罪もない数万、いや十万をこえる生命を奪ったし、アジア太平洋の各地で2000万人という犠牲者を出した。その犠牲の上に「大日本帝国」はようやく解体されたのだが、この帝国の解体を日本の現在のマスコミはなお「終戦」と言い繕い「敗戦」とは言わない。また朝鮮半島とすべての朝鮮人の解放を日本統治の終わり、と言っても植民地支配の終焉とは言わない。この二つの事実の隠蔽が日本人の歴史意識をいまだに混濁させている。そしてすぐ隣の国である韓国や朝鮮の人びとの歴史意識との間に大きく深い溝を作り上げている。
 その日本人の意識変革が進まないことを予期していたのであろうか。マッカーサーの占領軍司令部は天皇制を存続させただけでなく、東京裁判に朝鮮や中国の代表の参加を許さず、それらの戦後処理は「当事者」に任せるとして個別交渉に委ねた。
 これが災いとなって日本は韓国との交渉では謝罪も賠償もせず、1965年の二国間条約で「すべては解決済み」としてしまったのである。今日の日本政府と韓国との間に存在している諸問題解決の困難さはここに由来しているのだ。
 政府当局者や要路の人びとの意識の暗さを批判するだけでなく、8・15は「敗戦の日」そして「朝鮮統治期」を「朝鮮植民地支配期」と呼び直そう。それが両国、そして両国の市民の意識の変革を呼び起こす唯一無二の方法である。(仲尾宏理事長)