【投稿日】2023年9月25日(月)
すでに日本は“移民社会”である。しかし日本社会はそれを一向に認めようとしない。それどころか、地域社会の「市民」としても認めようとしない。
7月28日、熊本市は市民の定義に「外国籍を有する人」という文言をくわえて市の条例改正を検討したが、多くの反発をうけ断念した。2021年には東京の武蔵野市が外国籍者も参画できる住民投票条例案を検討したが、これも反発を受けて断念した。
反対論の多くが、「移民を認めることになる」「外国人に参政権や住民投票権を与えることにつながる」そして「地方が外国人に乗っ取られる」という理由からだ。反対の急先鋒に立った「幸福実現党」が熊本市に提出した要望書では、「今回の改正案は、一層踏み込んで、日本人の住民と同じ『市民の権利』を付与するもの」であり、「市長の役割として『行政サービスの質を向上させ市民の満足度を高める』と規定されており、日本人と同等の行政サービスを外国人に期待させるもの」だから反対だそうだ。外国人に日本人同等の行政サービスを提供することの何が問題なのか、まったく理解できない。外国人に住民投票を認める自治体はいくつかあるが、外国人に自治体が乗っ取られたといった話しなど聞いたことがない。
こういった思想の背景に、日本社会の劣化の一端を垣間見ることができる。作家の香山リカさんが著書『なぜ日本人は劣化したか』(2007年、講談社)で指摘していた「排除型社会」での「寛容の劣化」である。香山さんは、失業者が増大し、コミュニティが崩壊、伝統的な核家族が解体され、他者への尊厳の念が喪失、社会病理が蔓延すると、排除型の社会に陥り、そこでは、未来よりも過去のこと、「むかしはよかった。あの時代に戻るべきだ」という一種のノスタルジーに支配され、「ほのぼのとした家族や職場、地域共同体の思い出に浸」り、【かつての価値】を復権させようと、“異質なもの”を排除し、不寛容になると指摘する。そしてそれがなかなか“厄介”なのだという。
たしかに、香山さんの指摘以降、2009年の京都朝鮮学校へのヘイトデモを皮切りに、大阪・生野区や東京・新大久保などの在日コリアン集住地域において、大規模なヘイトデモが多発した。ジャーナリストの安田浩一さんによれば、普通の若者たちが凶悪なレイシストに豹変していく背景には、さまざまな要因によって孤独に追い込まれた者たちが、疑似家族を得て、承認欲求が満たされる場にヘイトデモがなっていると分析する。日本社会の劣化が、レイシストという怪物を生み出した。そして、今は、ウトロの放火や防刃ベストを着用しないと外出できない状況に追い込まれている川崎の崔江以子さんのように、直接的なヘイトクライムへと悪化し、このまま放置すれば“ジェノサイド”にまで至るのではないかと懸念するのである。
劣化する日本社会の状況は、「外国人に市民権を認めれば乗っ取られるかも知れない」というありもしない不安を増幅し、「排外型社会」を生み出し、「寛容の劣化」を招いた。今の日本社会には多様性を受け入れる寛容さも度量もない。
このままあらゆる面で日本が劣化していっていいはずはない。このような状況を打開するには、あえて、多様な社会づくりに徹底して舵を切るほかないのではないかと思う。もうすでに日本は“移民社会”なのだから。その現状を受け入れ、多くの衝突を覚悟の上やっていかないとこの閉塞状況は改善されないだろう。(高敬一)