待ってください。実は私は朝鮮人なんです - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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待ってください。実は私は朝鮮人なんです

【投稿日】2025年9月25日(木)

 1959年1月20日は、齋藤博子さんにとって、忘れようとしても忘れられない日となった。福井県鯖江市で育った齋藤さんは、近くのダンス練習場で、ちょっと素敵な異性に惹かれていた。その「坂倉さん」が、突然、自分は朝鮮人であると宣言したのだ。冒頭の言葉は、その時の坂倉さんのものである。そして、坂倉さんは宣言する。「あなたをもう家に帰さない」と。

 「私が朝鮮人だから、博子さんの両親が反対すると思うからです。絶対に反対すると思います。だから私は、博子さんを連れて逃げます」(齋藤博子『北朝鮮に嫁いで四十年 ある脱北日本人妻の手記』より)そして、坂倉さんとの生活が始まった。朝鮮人との生活は、差別にまみれ、みじめなものだった。さらに、齋藤さんの手記は続く。家を借りに行った時のことである。

 「おばさんが出てきて、すまないが、やっぱり部屋は貸せないよ、堪忍してねと言いました。どうしてですかと聞くと、『旦那は朝鮮の人だろう』と言いました。私はどう言っていいのかわかりませんでした。おばさんは『あんたも朝鮮の人か』と聞きました(中略)私はどうして朝鮮人はだめなのかと聞きました。おばさんは、私はいいんだけど、息子がどうしてもだめだと言うのだと言いました。」(同書より)

 結局、家は借りられず、大きな屋敷の座敷を通ってその奥にある6畳ぐらいの部屋を使わせてもらうことになった。台所は他の家族と一緒に使う。でも、朝早く起きて食事の支度をし、夫と二人で食べるごはんは、とても嬉しかったのだという。

 そんな二人に、2年後、一筋の光がさす。
 この世には、「地上の楽園」があることがわかったのだ。

 もう、差別にあうことなく、みじめな思いをすることなく、夫が大好きな眼鏡作りに没頭させてあげられる・・・。
 衣食住の何もかもが保証され、医療は無償で、好きなだけ勉強でき、人々は笑顔で指導者を称え続けている・・・そんな楽園があるというのだ。

 みなさんは、ご存知だろうか。

 かつて、1954年から1984年にかけて、9万3340人もの人々が、「地上の楽園」を信じて、日本を出て行ったことを。そのうち約6800人が日本人であったことを。差別と絶望で圧迫した挙句の、緩やかな「民族浄化」が日本にも存在したことを。当時、この「民族浄化」は、「帰国事業」と呼ばれた。在日コリアンにとって、かの国は、異国であるにもかかわらず。そして、この「民族浄化」は、差別に苦しむ朝鮮人を救ってあげる日本人の良心の現れとして、全社会的に推進された。
 学校を卒業しても、仕事はない。住まいもない。社会保障もない。朝鮮人に生まれたというだけで差別にあう。だから、日本人のふりをしないと生きていけない。その日暮らしで、自分が何者であるかも語れない。嘘をつき続けることを強要され、ないないづくしの在日コリアンに、ある独裁者は、大衆を扇動して囁いてきたのだ。「私のもとには、地上の楽園がある。日本を去って、私について来なさい」と。
 当時、在日コリアンたちは、どんな気持ちで、独裁者の甘言に救いを求めたのだろうか。実は、そんなに想像力がいる話ではない。なぜなら、彼(女)らが味わっていた差別は、何も、遠い昔のことではないからだ。今この瞬間にも、リアルタイムに、その差別は存在し続けているからだ。
 「Yahoo!JAPAN」ニュースで、「在日」とか、「韓国」で検索してほしい。そして、書き込まれている読者のコメントを見てほしい。

 たとえば、「在日の苦悩演じて20年・・・大阪の劇団が舞台「おとうとが消えた日」記念上演(読売新聞オンライン9月5日配信)に対してのコメントのいくつかを見てみよう。

 「20年もの苦悩、そんなに長期間、何故、不満な日本に在住しているのか、わからない。そんな人が家庭をもてばその子供たちも、表に出さなくても反日になるだろ 
  う。やはり、日々、安寧できる国に戻られることが良いと思うのだが。」(dee********さんのコメント)
 「それ程日本が住みにくいのなら帰国する方法を考えれば良いよ」(saw********さんのコメント)
 「理解する必要も意味もない。周囲に不満を言うのではなく、先祖に文句を言ってください。」(gomadangoさんのコメント)

 これは一例に過ぎない。

 さて、時は過ぎ2025年。ある指導者を、大衆が、歓呼と喝采で迎え入れていた。その指導者は、大衆を前にして、思想の自由を否定する憲法を構想する自分たちが「アホだ、バカだ、チョンだ」と非難されていると声高に主張した上で、「チョンだと言ってはダメだ。今のカット!あーまた言っちゃった。」と叫び、興奮した大衆は、笑いながら拍手と喝采でそれに応えた。それだけではない。大衆は、この発言が報道で取り上げられたにもかかわらず、何ら問題にせず、2日後には、その指導者に比例区で12.5%もの得票を与えた(60歳以上の高齢者ではほとんど得票できず、50歳以下で20%近く獲得したという話もある)。いや、大衆が「何ら問題にせずに投票した」という評価は、正確ではないだろう。この指導者は、大衆を煽動するのに長けているのだ。投票日の2日前というタイミングから考えると、むしろ、大衆に効果的に訴求するタイミングを狙いすましたものと見るべきだろう。大衆は、この演説を問題にしなかったのではない。むしろ、指導者の「タブーを破る」一連の勇気ある姿勢を高く評価してあげたのだ。

 大衆は、評価した。指導者が、在日コリアン=「チョン」と看破した上で、「チョン」は、「アホ」や「バカ」と並列に扱ってよいと明言する姿勢を。「チョン」という言葉を使って何が悪いという開き直りを。

 そして、大衆の支持を集めるこの指導者は、議会で一目置かれる存在になった。リベラルとされる最大野党の幹事長は、この指導者に対して「深く敬意を表し」、「懐深く、謙虚に」「誠意をもって対応したいと思っている。」と述べている。

 賢明なKMJの会員のみなさんなら、もう気づいていると思う。

 そう、今に至っても、この日本で「緩やかな民族浄化」には、敬意を表されうるのだ。
 それだけではないのだ。次の民族浄化が、「懐深く」、救いの事業として称賛されながら、再び行われる素地すら、あるのである。
 次の民族浄化が、どのような形で行われるのか、今、良識ある日本の市民は、固唾を飲んで見守っている。

 さて、KMJでは、今年の夏期セミナーの講師に、齋藤博子さんを招聘する。齋藤さんは、「帰国事業」によってかの独裁国家に渡っていった、緩やかな民族浄化の生き証人である。私たちに、「アホだ、バカだ、チョンだ。あーまた言っちゃった。」と言われ続ける日本での日常がどういうものだったのか、身をもって証言してくれることだろう。

 それだけではないのだ。齋藤さんは、人間の自由と尊厳を否定する社会の未来を、かの国での自らの体験として語ることができる、数少ない日本市民でもある。「地上の楽園」を建設していた独裁者は、「反革命分子」を弾圧し、「革命」に身を捧げることを強要し、「出身成分」で人間を階層化している。そこでは、指導者の一族でさえ、いつ「反革命分子」と断定されるのかわからず、指導者の一存だけで、即時に存在そのものが消されることは、ご承知のとおりである。齋藤さんは、地獄のようなその社会で生き抜いてきた証人でもある。

 賢明なKMJの会員のみなさんなら、百も承知だろう。「反日」を貶める現在は、特定の誰かが、何が「反日」なのかを断罪し、弾圧する未来を意味することを。「愛国」に身を捧げることを強要する現在は、特定の誰かが、自分が「真の愛国者」であると自賛し、その者に身を捧げさせられる未来を意味することを。「日本人ファースト」と称して人間を階層化する現在は、特定の誰かが、何が「非日本人」なのかを特定し、無価値とされた者を消していく未来を意味することを。

 そして、自らがいつまでも「日本人」としていられると思い込んでいるらしい彼自身が、未来の独裁者に、「愛国者」だとか「日本人」と認めてもらえる保証などどこにもないということを。「反日」として消されうることを。

 このことは、齋藤さんが留め置かれていたかの国での出来事を見れば、明らかであろう。
 こんな未来への拍手喝采は、許してはならない。人間の尊厳だけは、守ろうではないか。自由だけは、守ろうではないか。
 もはや、保守もリベラルもない。我々は、闘いの時を迎えた。(崔宏基・常務理事)