【投稿日】2013年11月22日(金)
2013・11・12に金聖雄監督の映画『sayama-みえない手錠をはずすまで』を観た。「狭山差別裁判闘争」支援のドキュメンタリーと思っていたら、この裁判を闘ってきた石川夫妻のほのぼのとした夫婦愛の物語がメインだった。
上映後の金監督の挨拶もよかった。記憶の限りで、そのスピーチを思い起こし記して、この映画の紹介としたい。
自主映画作成へのカンパのお礼、当日参観者へのお礼の言葉に続いて出てきたのが、金監督と石川一雄さんとの出会いの話だった。監督が、遠慮がちに石川さんのこれまでの人生はどう思っておられるかの質問に対して、彼の言葉は、意外にも「悔いのない一生です。」だった。それは監督が予期してなかった言葉だった。なぜなら24歳で不当逮捕されて以来、強制の虚偽自白、浦和地裁での死刑判決(1963年、控訴)、東京高裁での無期懲役判決(1974年、上告)、最高裁で上告棄却・無期懲役確定(1977年、再審請求)、再審請求棄却(1980年)、再審請求、異議申し立て、特別抗告が繰り返されていくが、再審はおろか無罪はまだ、1994年55歳で無期懲役のまま仮出獄、31年7カ月の間、獄中に置かれた人生、これでは誰でも「後悔あり」、と思うのが普通であるからだ。
石川さんは、被差別的環境下、ろくに学校に行けなかった。入獄させられ、獄中で学んだのは文字だった。文字を知ったことで、そこから世界が広がった。いろんな世界が見えてきた。無罪が認められず処刑されれば、自分の骨の一部は父母のそばに埋め、他は海に散骨して欲しいと、そうすれば骨となった自分が世界各地を巡ることができると思った。これは獄中での無視できない彼の希望であったであろう。今もその思いは変わっていない。
金監督が、石川さんに世界のどこに行きたいかと聞くと、「アフリカのケニヤ」だと言う。そこで自由に放たれている動物たちを観たい、と。映画の中で出て来る石川さんの一言一言に、重みがある。檻の無い、自然の中に生息し活動している動物たち、石川さんは獄の中で幾度も夢見た自由な光景だったのであろう。
石川さんは仮出獄後の1996年に、早くから狭山差別裁判闘争に参加してきた早智子さんと結婚した。彼が57歳の時である。以来二人して、闘いを続けてきた。その夫婦愛に、金監督は彼自身の家庭と夫婦関係をふりかえりさせられると言う。再審を求めても求めても拒否される司法の壁。絶望のどん底で結ばれた夫婦は何よりも結束がかたい。それは石川さんの実兄夫婦の姿でもある。映画のシーンにも兄夫婦が登場しているが、彼らが結婚したのは、石川さんが不当逮捕され死刑の判決を受けた頃だったという。特に実兄の妻への結婚を思いとどまるようにとの「説得」はかなりのものであったようだ。彼女はいわゆる同和地区出身者ではなかった。しかしこの差別的な干渉に屈せずに二人は結婚し、今日まで連れ添ってこられた。「昔のことは、もう忘れました」と彼女は語っているが、その一言だけでも、二人の結婚とその後に対する周囲の圧迫はいかほどのものであったか、想像に難くない。
カメラは、石川夫妻の食事をとる場面を幾度か写す。野菜や豆腐納豆をよく石川さんは食べる。そしてランニングを欠かさない。初めにも終わりにも石川さんの走る姿が出る。健康を第一に節制した生活を保つには、はっきりとした理由がある。再審と無罪を勝ち取るためだ。彼は死ねない。彼は言う、「私を取り調べた人、判決を下した人に、なぜあんな取調べをし、あんな判決を下したのか、尋ねたい。ところがみんな死んでしまっていない。」 だが「見えない手錠」は、石川さんから離れない。
「真理はあなたがたに自由を与える」は新約聖書のヨハネによるイエスの言葉だが、必ずやその時がくるだろう。再審裁判の有無にかかわらず、夫婦の真理への闘いは続く。他方で私はこの「見えない手錠」が、手を変え品を変え、広く我々一般にかけられてきているということに気付いた。「特定秘密保護法」案がまさにそれである。
最後に一言、提言したい。ドキュメンタリーの限界ではあるが、石川さん夫婦らの言葉を字幕で示して欲しい。一言一句、言葉が重い。貴重な言葉だ。聞き漏らしたくないと思ったのは私だけではない。さらにもう一つ。金聖雄監督は、小生とは旧知の間柄であるので、在日コリアンから見てこの狭山差別裁判はどのようにみえたか、上映会の挨拶の中で機会があれば語って欲しいと願うところである。(藤原史朗)
映画『sayama-みえない手錠をはずすまで』の上映情報は以下のホームページをご覧ください。
http://sayama-movie.com/