“リバティおおさか”は続けさせなければならない - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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“リバティおおさか”は続けさせなければならない

【投稿日】2015年11月9日(月)

 私がまだ高校生の半世紀以前のことであるが「同和対策基本法」がまだ成立していない時代、世の中では「四つ」という差別語が日常的に使われていた。私の周辺の人が「四つ」という表現をせめて柔らかくしようとして「ルート16」と言う語に置き換えて使用しはじめた。すると、ものの一週間もたたないうちに「四つ」にかわる言葉として「ルートさん」「ルーチン」という新語が生まれ、定着していった。人びとは「四つ」という語を使いたくなかったから、新しい言葉にすぐにのりかえたのだろう。そのことを行政が感知して、直ちになんらかの対策をとれば、のちの「同和対策基本法」は必要なかっただろうが、行政にそのような意識はなかった。そのことは行政として反省するべき事項であると、私は考えている。

辛基秀先生と「江戸時代の朝鮮通信使」
 故辛基秀先生が大阪環状線寺田町のガード下で「青丘文化ホール」を開いておられたのを閉鎖されることになったとき、その処理を依頼された。備品のグランドピアノだけは辛基秀先生のお嬢さんに処分をお願いしたが、あとのことは私が担当した。韓人歴史資料館ができていれば当然そこに収蔵するのだが、そのような施設はなく、文氏が勤務していたリバティおおさかに依頼した。VTR類が中心であった。書架は日の出書房の郭社長が引き受けてくれ、雑誌等は日の出書房の近くに借りてもらったガレージで整理した。
 青丘文化ホールは、辛基秀先生が映画「江戸時代の朝鮮通信使」を作成するにあたって収集された資料を展示するための施設であった。毎日新聞(大阪)2015.10.14朝刊国際8面は、日韓交流の歴史をたどる・両輪で走る朝鮮通信使・ソウル~釜山~対馬~大阪~静岡~東京・19~79歳の50人縦断中、という特集のなかの「関係深化の糸口探る」というコーナーで、辛理華さんが映画「江戸時代の朝鮮通信使」の紹介を「父の映画を通じて」として韓国での上映運動についてふれられている。毎日新聞の記事では、重要な点が一つ抜けている。それは、辛基秀先生のこの映画があって、その上映運動のなかで、初めて教科書に朝鮮通信使のことが記載されるようになったことである。これは辛先生の大きな業績のひとつであり、今後毎日新聞が朝鮮通信使関係の記事をつくるときは留意していただけるようお願いしたい。別件であるが、私の手もとにVTRの映画「江戸時代の朝鮮通信使」がある。ダビングできないVTRなので、なんとかダビングできる方法を模索している。ダビングできれば、KMJには映画フィルムはあるが映写機が必要なので、映画を目的とした会場以外ではVTR利用できるようにしたい。また、少人数の会合に貸し出すこともできる。

雨森芳洲が説いた「誠心外交」
 隣国である韓国と「誠を通じ合う」通信の関係が江戸時代に成立していたことは、学校教育だけでなく社会教育の分野でもっと広げていくべきだろう。韓国語では、通信使のことを“トンシンサ”といい、韓国社会の中で広く知られている。書簡の往復や電話連絡というような連絡・通信でなく、江戸時代の儒学者でありすぐれた外交官であった雨森芳洲が説いた「誠心外交」を進めなくてはならない。かつて日本が大陸侵略を行っていた時代に、韓国併合を行ったころの韓国蔑視観が今も残っていて、韓国を見下げるような人がいることは事実である。かつて生野区の不動産屋の貸間広告に「韓国人あきまへん」と書かれていたようなことは今は見られなくなったが、ヘイトスピーチにあらわれたように韓国人蔑視の考え方が残っている。それを払拭する努力はこれからも続けていかなくてはならない。その意味でも人権総合博物館の役割は大きい。

“リバティおおさか”は公費で維持すべき
 本稿の冒頭で、行政が人権問題に積極的でなかったことを反省すべきだとしたが、橋下大阪市長の「公金で維持不要」というのは許せない。行政が先頭に立って人権問題に取り組みべきなのに、このようなことを考えていたとは・・・橋下さんはもう少し人権問題に理解があると思っていたが、このような考えなら、次の選挙では彼の押す候補の人権感覚を検討しなければならないだろう。

 もう一つ、橋下発言で「部落差別の問題が激しかったころの役割は認めるが」と、部落差別が解消したかのような考え方は、行政のトップの考えとして許されるだろうか?部落解放同盟の見解も聞きたいところである。私は、部落問題が解決したとは考えていない。行政のトップがこのような状態である以上、「リバティおおさか」の存在価値はおおきく、公費で維持されなければならない博物館施設である。(KMJ理事・井上正一)